第五話


 暑さが厳しい、セミがうるさく鳴く夏まっさかり。
 スッケッチブックを持った才一が、神社を訪れた時、微かな猫の鳴き声を聞いた。
 その声を頼りに、ぐるっと社の周りを回れば、覚束なく歩く真っ白い子猫が震える足取りで彷徨っていた。
 まだ成猫になりきれてない、好奇心旺盛な子猫。
 かろうじて独りで自立していけるくらいの大きさだった。
 あまり人がこない神社の裏は、雑木林のように木が茂っていたので、直接太陽の光が差し込まない分、幾分か暑さがしのげる。
 この暑い夏を乗り切り、外敵から身を守るには子猫にとって最適な場所だったのかもしれない。
 親とはぐれてここに迷い込んだのか、捨てられたのか、才一はあたりを見回すが、この子猫以外、他の猫は見当たらなかった。
 そんな誰もいない、餌もなさそうな場所に子猫が一匹。
 一匹で生きていくには難しい、小さく弱々しい生き物を見つけてしまった才一は、どうしようと思いながら暫く突っ立っている。
 すると子猫は才一を見て助けを求めるように益々鳴きだした。
 まるでそれは何かを訴えているように、そして才一も何を訴えているのか心の叫びが理解できてしまう。
 ちょこまかと才一の足もとに寄っては、前足をちょこんと才一の靴の上に置いて、何度もうるさく何かを主張する。
 お腹が空いているに違いない。
 才一はしゃがみこみ、せわしく鳴いている子猫の頭を指でそっとなでてやった。
 子猫はそれが気にいったのか、すぐさま喉をゴロゴロと鳴らした。
 そして媚びるように才一の足に向かって頭を擦りつける。
 それがこの子猫との出会いだった。
 拾って家に持って帰りたかったが、猫は飼えない環境だったために泣く泣くそこに放ってしまった。
 だが、小さな体とあまりの可愛さで、頭から子猫の事が離れず、コンビニで猫缶やドライフードをお小遣いで買って、再び子猫の前に現れた。
 餌をあげてしまったら、それは責任もって飼うべきだが、家族に猫アレルギーがいるために持って帰れず、仕方なくできる限りの世話をして、それまで飼い主を見つけようと決心した。
 夏休みの間、毎日神社に通い、そこに誰も人が来ない事をいいことに、時間がある限り才一は子猫と過ごした。
 子猫は才一が神社に現れると、尻尾をピーンと立てて、すぐに寄ってきては、喉をゴロゴロ鳴らして甘えてくる。
 足元で擦り擦りされると、とても可愛くて、飼ってやれないことを悔やんでしまう。
 抱っこしてやると、慣れてないためにちょっとジタバタして暴れるけれど、才一が優しく抱きこむとそのうち心地よさに子猫はうとうととしてしまう。
 まだまだ腕白で、時には引っかかれて噛みつかれることもあるが、あどけない顔を見ていると才一は許せてしまうのだった。
 才一が餌をやれば、白い子猫は尻尾を立て全身で喜びを表し、餌を食べる時はウニャウニャいいながら一心不乱にがっつく。
 それがかわいくて、小さな頭を撫でながら、才一は口元に笑みを浮かべてじっと見ていた。
「みーちゃん、早く飼ってくれる人見つけないとね。ごめんね、僕が飼ってあげられなくて」
 白い子猫は、ふと顔をあげ、つぶらな瞳を才一に向けていた。
 まるで大丈夫とでもいいたげにじーっと見つめている。
 そしてまた餌を食べ出した。
 ずっと鳴いていたセミの声が途切れ、才一はふと視線を感じ、周りを見回す。
 でも誰も居ず、木漏れ日が揺れているだけだった。
 深く気にすることなく、一心不乱に餌に食らいついている子猫のがつがつとした食べっぷりに再び視線を向け、その姿をじっと観察する。
 才一はものを良く見る癖がついていた。
 なぜなら才一は絵を描くのが好きで、細部までしっかりとよく見て描くからだった。
 特に風景画が得意だが、趣味として漫画やアニメのキャラクターも描くのが好きだった。
 メカやロボットなども描けるので、手の空いた時はちょこちょことイラストを良く描いていた。
 子猫と過ごしている時も、スケッチブックを手にして、子猫の絵を描いたりしていた。
 そのうち、子猫を擬人化して、かわいい女の子に見立てて描いたりするようになっていた。
 そんな自分が描く絵を見ながら、頭の中では、いつか人間になって恩返しして自分の恋人になってくれるのではと妄想してしまう。
『あの時助けて頂いた猫です』
 なんて現れるところを頭に描いていた。
 子猫は顔を上げ「にゃー」とコミュニケーションを取るように鳴くから、まるで自分の妄想に返事をしたみだいだった。
 食べ終わったトレイを見ればカリカリが一粒だけ残っていた。
「みーちゃん、最後の一個も食べてよ」
 才一の言葉などお構いなしに、ご飯を食べ終わった子猫は口元を何度も舐め、その後は毛づくろいを始めた。
 まだまだ小さな手をぺろぺろと舐めては、顔にこすりつける。
 動きだけは一人前の猫らしく、それはとても愛らしい姿だった。
「みーちゃんは将来美しい猫になるだろうね。ほんと美人さんだ」
 子猫をみーちゃんと名付けた才一は、そのかわいい仕草にくぎ付けだった。
 目を細めてにんまりとして見つめていた。

 そのとき、黒いシルクハットを被った黒いタキシードの男が急に目の前に現れ、才一は非常にびっくりした。
 子猫も、体の毛を逆立て、尻尾が膨らんでいる。
 「シャー」と威嚇の声までして、勇敢にも飛びかかりそうになっていた。
「あら、猫にまで驚かれて、参っちゃったな。大丈夫、怖くないから」
 ヨッシーはパッと細長い小袋を猫に向けて差出した。
 ご飯を食べて満幅の子猫にそれは効かない。
「あれ、ちゅーる好きじゃないのかな。猫に大人気と思って買って来たのに」
「あ、あの」
 風変りなヨッシーに驚きながらも、才一は自分と同じように子猫を世話しに来た人だと思った。
 時々、知らない人が来ている痕跡もあったので、自分の知らない所で他の人が面倒みていたのかもしれないと考えた。
 そう思うと才一は少し落ち着いてヨッシーを見られた。 
「あっ、これはこれは、どうも失礼しました。私ヨッシーと申すものです」
「ヨッシーさん?」
「あなたは、向田才一君ですね」
「えっ、どうして僕の事を知ってるんですか?」
「子猫を見つけられて、ずっと世話をされてるんですよね。偶然お見かけしまして、それで色々と読み取らさせて頂きました」
「読み取る?」
「私、人様の妄想が見えるんです。しかもその願いを叶えて差し上げることができるんです」
 ヨッシーは自分が妖精である事を説明すると、才一は意外とすんなり受け入れた。
 普段から漫画やアニメをみているせいか、そういう話に慣れていて、自分にもそんなチャンスが訪れた事をかなり喜んでいた。
「妖精のヨッシーさんですか。しかも魔法が使える。うわぁ、嬉しいなそんな方と知り合えるなんて」
「そんな、喜んでもらえると、私も非常に嬉しいです」
 物分りのいい才一に歓迎されて、ヨッシーは調子ついて得意げになりながら照れてしまった。
 心の中で、なんか上手く行きそうと上機嫌になり、余裕が出てくる。
 少しだけ自分の持ってる力を誇示したくて、偉大な部分を才一に見せようと背筋を伸ばした。
 才一は尊敬の眼差しを向けて、ヨッシーに頼みごとをする。
「それじゃ早速、願いを叶えて下さい。この猫の飼い主を見つけてほしいんです」
「まあ、なんと心の優しい。でも、私もっとすごい願いを叶えてさしあげられるんですよ。例えば、この子猫が可愛い女の子になって才一君のところにやってきて彼女になるとか」
 真面目な才一の願いはありきたりすぎだった。これなら何をしても才一はヨッシーの能力のすごさに驚く。
 ヨッシーは益々驕りたかぶる。
「えっ、あの、そ、それは」
「いや、何も恥ずかしがることないんですよ。そんな風に考えるのは良くある事ですから。そういう少年にこそ素晴らしい恋をしてもらいたいもんです。才一 君、あなたのお好きな恋を妄想して下さい。出来る限りの事をさせて頂きますから。とりあえずどうしたいかプラン立ててみて下さいね」
 いつもは下手になってへらへらしていたが、今回に限って自信溢れるヨッシーはニヤリとして、目を光らせた。
 その目を見ていると、才一は夢を見ているような現実離れした雰囲気に包まれて、変にぼーっとしてしまった。
 まるで催眠術にでもかかったように、本来の自分が心の奥に向かって消えて行くような気分だった。
 足元で「ニャー」と声が聞こえて、はっとする。
「あっ、みーちゃん……」
 甘えてくる子猫を抱き上げ、そして正面を見たとき、ヨッシーの姿はなかった。
「あれ? ヨッシーさん、ヨッシーさん」
 ヨッシーの名前を呼ぶが、ヨッシーは姿を現さなかった。
 一人で夢を見ていたような、現実に起こったことなのかさえ分からず、困惑していた。
 子猫を懐で抱いて、何度も撫でてやる。
 喉がゴロゴロとなっているのを聞いていると、才一はこのままずっと抱いていてやりたいと思う。
 しかし、やっぱり連れて帰ることはできずに、仕方なく地面に置いた。
「みーちゃん、必ず飼い主を見つけてあげるからね。別に可愛い女の子になって、恩返しとかそういうの期待してないからね」
 ヨッシーと出会った事が夢だったように、才一はよくわからなくなっていた。
 才一は子猫に向かって「バイバイ」と手を振って去って行く。
 何度も振り返りながら、ヨッシーが言ってたように、子猫が女の子に変身して自分の所に来るんだろうかと、信じられないながらも、なんだかどこかで期待しているような曖昧な気持ちになっていた。
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