第五話


 一体あれはなんだったのだろうか?
 僕はその晩、スケッチブックに絵を描きながら、とりとめもなく色々と考えていた。
 妖精のヨッシーさんを思い出し、ネットで探したタキシードとシルクハットの画像を参考に、ヨッシーさんの絵を描いていた。
 思い出して書けば書くほど、現実離れしたその容姿に、夢を見ていたように思えてしまう。
 コスプレ好きな変な人にからかわれただけかもしれない。
 例えそうであっても、生でああいうのをみたのは面白かった。
 それに、自分の妄想を現実にしてくれると言われると、なんだか頭の中で勝手にみーちゃんが美少女に変換されてしまう。
 そうなると、手が自然に動いてみーちゃんをとびっきりかわいい女の子として描いていた。
 女の子からもてた事がない僕は、常にくっ付かれてベタベタされて、愛情表現してくれるかわいい清楚な子に憧れる。
 こんな僕でも好きと言ってくれるような女の子。
 それが人に自慢できるくらいとびっきりの美少女で──
 などと、絵を描いては一人でムフフとしていた。
 夜も更け、そろそろ寝ようかと窓を見た時、その時初めて雨が降っている事に気が付いた。
 それがかなり強めに風が吹き、窓に雨の滴が叩きつけられている。
 あっ、台風……。そういえば台風が近づいていて天気が崩れると天気予報では言っていた。みーちゃん大丈夫だろうか。
 様子を見に行きたいが、すでに真夜中近くだと、行ったところで傍にずっといてやれないし、家にも連れて帰れない。
 夜が明けるのを待つしかなかった。
 建物の下にいれば、雨風は凌げるはずだ。
 怖がっているかもしれないが、濡れない所にいれば大丈夫に違いない。
 僕は祈る思いで、ベッドに入った。
 心配で中々寝付けず、何度も寝返りを打ったが、いつの間にか寝たようで、起きたらすでに9時になろうとしていた。
 寝過ごした。
 目ざまし時計を見て飛び起き、窓のカーテンを開けて外を見る。雨はやんでいたので、少しばかりほっとした。
 すぐさま餌を持って神社の裏へと駆けつけた。
「みーちゃん、ごはんだよ。遅くなってごめんね」
 いつものようにドライフードの箱をカシャカシャと音を立てて振り、みーちゃんが出てくるのを待っていた。
 普通なら、ニャンニャンと喜んで僕の足もとに駆け寄ってくるのだが、名前を呼んでも、ドライフードの箱をシェイクしてもみーちゃんは姿を現さなかった。
「みーちゃん、みーちゃん」
 なかばパニックになりかけ、僕は辺りを探しまくった。
 前夜の雨のせいで、みぃーちゃんは怖がってどこか遠くへといってしまったのだろうか。
 そんなことはありえない。
 雨の中を歩き回るはずがない。
 もしかしたら、具合が悪くて歩けないのだろうか。
 それとも怪我でもしたのか、益々悪い方向へと考えて、僕はべちゃべちゃになっている地面も気にすることなく、体を這いつくばって隠れてそうなところを必死で探していた。
 下ばかり見ていたので、まさかそこに人がいるなんて思わず、目の前にローファーの靴が現れた時は驚いた。
 ゆっくりと目線を下から上にむければ、白い滑らかな素肌の足、ひらひらとしている膝までのふわっとしたワンピースが目に入り、さらにその上は、女の子が俺を見てニッコリと微笑んでいる姿があった。

「えっ?」
 僕は慌てて立ち上がり、そして後ろに後ずさる。
 それでも目の前の女の子をじろじろと見つめることだけはやめない。
 陶器のような決めの細かさの白い肌。茶色く輝く蜂蜜色の髪。青みが入ったグレーの虹彩。白人に見えるけども、そこに親しみが湧いたのはどことなくアジアっぽさが混じっていたからかもしれない。
「君、誰?」
 僕は問いかける。
 女の子は僕をじっと見つめて、何かを言いたそうに口をひらいたが、でてきたのは言葉じゃなく「みあー」だった。
「あ……」
 空気が喉から抜けるような、そんな音しか出せなくて、ただ唖然と猫の鳴き声を真似た女の子を見ていた。
「みあ、みあ」
 何度も猫の鳴きまねをするその女の子は、まっすぐ僕を見て、もどかしげな様子だった。
「えっと、その、君は?」
 僕もあたふたとしていた。
 その女の子はやっぱりまた猫の鳴き声をする。
「みあー」
 僕はその時はっとした。
「もしかして、みーちゃん?」
 半信半疑の顔を向け訊いてみる。
 自分でも馬鹿げていると思っていても、怪しげなヨッシーさんを見た後では、目の前の女の子があの白い猫と思えてならなかった。
「みーちゃん?」
 女の子は首を傾げながら僕が呼んだ名前を繰り返す。
「そう、真っ白い子猫のみーちゃん……でしょ?」
 僕がそれを肯定して首を縦に一振りすれば、女の子の顔が綻んだ。
「みーちゃん、みーちゃん」
 何度も繰り返してウンウンと僕に何かを知らせようとしていた。
 やっぱりこの女の子はみーちゃんだ。ヨッシーさんは僕の妄想を現実にしてくれたんだ。
 それが分かれば、僕には迷いはなかった。このチャンスを思う存分利用したくなってくる。
 みーちゃんは僕が思い描いた以上に美少女だ。
 細かくみーちゃんの容姿を言葉に表しても無意味に、ただ一言でそれは片付く。
 かわいい。
 子猫のようにみーちゃんはそこに存在するだけでかわいくて仕方がなかった。
 みーちゃんは何かを言いたそうに唇を少し震わせたが、声が伴わず困惑していた。
 人間になったミーちゃんはまだ言葉が上手く話せないのかもしれない。
「みーちゃん、大丈夫だから。僕ちゃんと理解してるから。安心して」
 僕はできるだけみーちゃんを落ち着かせたかった。
 だから片手を差し出す。
 ミーちゃんはきょとんとした顔で僕を見つめていたけど、やがてゆっくりと自分の手を差し出し、僕の手をに優しく触れた。
 僕はその手をぎゅっと握ると、ミーちゃんはドキッとして体が跳ね上がった。
 子猫のミーちゃんを抱っこしたときも、最初は嫌がって体が硬直したのを思い出した。
 僕はにっこりと微笑むと、ミーちゃんの固くなっていた身体から力が抜けていくのが感じられた。
 ミーちゃんは僕を不思議そうに見つめ、また唇を震わす。
 僕はそれだけで何が言いたいのか読み取った。
「僕の名前だね。僕は才一。サイイチ」
「サイ……チ?」
「イがふたつ入っているからちょっと発音しにくいかな? じゃあ、サイチでいいよ」
「サイチ?」
 僕はうんと頷くと、みーちゃんははにかんで微笑み、僕の手をぎゅっと力を入れて握り返してきた。
 みーちゃんのぬくもりが僕の手から伝わってくる。
 僕はすぐにみーちゃんが好きになって、ドキドキとしていた。
 でもみーちゃんは、元は子猫だ。
 いくら妄想が現実になっても、これはずっと続くのだろうか。僕の高揚していた気持ちが少し冷静になった。
 世の中そんなに上手くいくものでもない。きっとどこかでみーちゃんはまた子猫に戻ってしまうに違いない。
 僕はそんな気がしてならなかった。
 この夏だけのひと時の僕の夢。
 だったら、後悔のないように全力で人間になったみーちゃんと過ごそう。
 消極的な僕だけど、この時だけは違った。
「みーちゃん。折角こうやって会えたんだ。思いっきり遊ぼう」
「遊ぼう?」
 僕はみーちゃんの手を引っ張って歩き出す。
 みーちゃんは引っ張られるまま、たどたどしく僕についてきた。でもすぐに歩調が合って僕と手を繋いで歩く事を受け入れたみたいだ。
「サイチ、どこ……行く?」
 たどたどしい発音でみーちゃんは僕に訊く。
「みーちゃんはどこに行きたい?」
 僕が訊いてもみーちゃんはただ困惑して瞳を泳がせた。
 僕が上手くリードすればいいのだろうが、僕自身どこに行っていいのかわからない。
 みーちゃんを楽しませてあげたい。でも良く考えたらお金もあまり持ってなかった。
 太陽はどんどん高く登り、ぎらぎらとした光が眩い。気温が上がっていくのを感じながら、うるさく鳴く蝉の声が耳に入ってくる。
 このまま外にいては焼け付いていく。せめて涼しいところにいかなければ。
 ただ街を歩くだけでは熱中症にでもなりかねない。
 みーちゃんを人間の女の子にしてもらうまではよかったけど、その後もっと計画してヨッシーさんに頼めばよかったと、僕はちょっと後悔した。
 妄想を何でも叶えてくれるのなら、デート代くらい出してもくれただろうに。
 僕はふーっと息を吐き、住宅街の中で立ち止まってしまう。
 みーちゃんは心配してそっと僕の名前を呼んだ。
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