第四章 その時を迎える物語


 仕事を切り上げ、気の合う仲間を誘って駅前の居酒屋へ出かけたのはほんの気まぐれだった。この日は胸糞悪い患者からの電話が私をむしゃくしゃさせていた。
 患者というのはこの場合間違いであり、正確にいうならば猫の飼い主というのが正しいのだろう。診るのは動物であって人間ではない。私は獣医だからだ。
 勝本動物病院。私が経営している病院だ。
 ベッドタウンと呼ばれる街にあるが、駅からは少し遠く入り組んだ道を歩いてやっと見つかるような場所だ。車通りの多い道から離れているため見つけにくい。
 一応看板は挙げているが、周りの家や雑居ビルに隠れて近くまで来なければ見えにくい。
 私の病院からあまり離れてない場所にもたくさんの従業員を抱える動物病院があるが、そこは国道沿いなので私の病院よりも目立って知名度があった。
 私の病院は一般的には知られてなくても知る人ぞ知る評判のいい病院で、近所の人たちや口コミで知った人たちが訪れて経営は上手く行っている方だった。
 自分で言うのもなんだが、雑誌で名獣医と紹介されることもあって腕はいい。その分こだわりがあって生真面目で気難しいかもしれないけど、それがあまり不快にならないように訪れる人たちには気を遣っているつもりだ。
 合う、合わないは人間なら誰しもあるので、気に入らなければ別に来なくていいと思っている。それよりも本当にペットの健康の事を考えているのなら、私は最高の獣医だと保証しよう。
 私の仕事ぶりを知れば、飼い主たちはきっと信頼を得てくれることだろう。
 まあ、時々愛想はないとはいわれるが、やる事をやっていれば、ペットを飼っている人たちはそれで大概は満足してくれる。
 ただ、料金は少し高めだ。まだ従業員を雇えるほどの余裕もない。今のところひとりでやっていくので精一杯ではあったが。
 そのうち顧客が増えれば、それは臨機応変にアルバイトを雇っていきたいと思っている。
 別にライバルと思ってるわけではないが、近くに存在する国道沿いの動物病院はうちよりも料金がやや低めで、顧客も多く連日忙しい。知名度がある分流行っているだけあって、それだけでうちに来るペットの患者たちは少なくなってしまう。
 あちらはシステムが事務的で診察時間にも厳しい。でもうちは個人経営だから多少の融通は利く。 そういうところがいいと言う人もいるから、どっちが優れているかと優劣は付けづらいものがある。
 腕では絶対負けてはいないはずなのでその点を見てもらえば私の病院の方が絶対いいに決まっている。それがうぬぼれというものなのだろうけど。
 今のところはこれで上手く経営できてるから経済的には問題なかった。
 私に問題がなくても、たまに現れる変な飼い主たちに腹を立てる事がある。こればかりは我慢するしかない。こっちも商売なのだから、動物の命を救う事を第一に考えれば、多少のことは仕方がない。
 でもこの日は特にイライラが募って酒でも飲まないとやっていけない気分になっていた。それほどむかついたのだ。
 その顧客は二歳くらいのキジトラの猫を飼っていて、一年前に虚勢手術を私がしたことで知り合った。最初はそんなに変だと思わなかったのだが、以前は国道 沿いの病院に通っていた節があってうちと比べているような感じがしてから、お金の事を気にする飼い主だとげんなりしたのがきっかけだった。
 ペットの飼い主も様々だ。家族の一員としてかわいがり過ぎるのも、感心がなさ過ぎるのも度が越していると思ってしまうが、一番嫌なのが飼い主の勝手な行動でペットに負担がかかることだ。
 去勢しないで猫が増え続け、飼えない数になったとき捨ててしまったり、また引越しでペットを連れていけないことで簡単に保健所にもっていったりと、本当に動物の命をなんだと思っているんだと怒鳴りつけたくなってしまう。
 責任をもてない奴らがなぜ軽率にペットを飼うのだろうか。責任が持てなかったらペットを飼うなと言ってやりたい。
 むっとした気持ちをもったまま引き戸に手をかけ、ガラガラと音を立てて開ければ、地元の居酒屋は適度に込み合っていた。
 「いらっしゃい!」という掛け声が店の中で響くと、奥のテーブル席で私を待っていた中学時代の同級生たちが振り返り、手招きしてきた。
田中と山路だ。
「勝本、ここだ」
 テーブルには半分減った生ビールのジョッキといくかの小皿がならんでいた。
 私が席に着くなり、アルバイトの兄ちゃんがお絞りを渡しながら「飲み物は何にしましょう」と言ってきたので私も生ビールのジョッキを頼んだ。
「久々だな」
 お絞りを手にとって手を拭きながら私は田中と山路の方を見た。
 どちらもすでに結婚していて、小さな子供もいる。私だけがまだ独身だった。
「お前、全然変わんないな。相変わらず結婚もしないで犬猫の世話か?」
 田中が私を虐めようとしてくる。昔から毒舌でよく喋る奴だった。体も細身で小さいが、例えればチワワといったイメージがある。大したことないのにすぐに虚勢をはるようなタイプだった。
「いいじゃないか、勝本は僕たちよりも勉強ができてたし、ちゃんと夢を叶えて獣医になったんだからすごいぜ」
 山路は人のいいところを褒める奴だった。穏やかで優しい。例えるならセントバナードといった感じの貫禄を持った男だ。一緒にいてて落ち着く。私が飲みに行こうと誘えばこうやってきてくれて、ついでに田中を誘ってくれた。
 田中とは時々一緒にいると疲れるからあまり自分からは連絡をいれないけど、山路が間にはいってくれれば、この集まりもそんなに悪くない。
「それで一体何があったんだ。勝本が飲みにこうなんて僕を誘うくらいだ。何か忘れたいことでもあったのか」
 ちょうどその時、私のジョッキが運ばれてきた。それを手にすると、ふたりは自分たちのジョッキを重ねてきた。
 カチッと音を立ててから私はごくごくと飲んだ。冷たい発泡した苦味が喉を刺激した。少しだけすっとする。
「実はな……」
 そこで私はふたりに今日の事を話した。
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