第一章


「ちょうどいいところに来た。今新しいマジックの練習やってたんじゃ」
 鳥の雛を連想するような、産毛がちょっと生えた禿げ頭が、まずぱっと目に入り、顔にはチョコレートをつけたような染みがところどころ出ていた。
 骸骨っぽいごつごつした細さがあったが、葉羽を見るなり嬉しそうに微笑んだ顔は、人の良さそうな優しいおじいちゃんだった。
 この人もお金に余裕があって、道楽でサボテンを集めたり、手品をやってるように思えた。
「シショ、今日友達連れてきました。いっしょにいいですか?」
「おお、歓迎じゃ。さあさ、中へ入りなさい。暑いのによく来てくれたな」
 葉羽を余程気に入っているのか、優しい眼差しを向けて破顔し、サボテン爺さんは手厚く俺たちをもてなしてくれた。
 葉羽の友達というだけであっさりと俺までも家に招きいれ、俺たちはサボテン爺さんの部屋に通された。
 その部屋は和室の畳部屋だったが、なんだか薬草めいた年寄りの独特の臭みがあり、色んなものが無造作に溢れかえっていて、息苦しさを感じた。
 ようするにごちゃごちゃしていて、想像していたのと違って汚かった。
 案外とずぼらな人なのかもしれない。
 その分、気が置けない気楽さも感じて、俺もサボテン爺さんを気にいりかけていた。
 俺たちは冷房の効いた部屋の畳の上に座らされると、サボテン爺さんは「ちょっと待ってて」と席をはずした。
 汗が急激に引いていくのを感じ、その涼しさにほっとしていたつかの間、サボテン爺さんが、再び現れたときは目が飛び出る程驚いた。
「ええっ」
 声にならない、驚きが喉から反射して、俺が圧倒されてるのに、葉羽と兜は平然としているから、俺は息を飲み込んでその場の空気を読んだ。
 見れば見る程、サボテン爺さんは奇妙だった。
 てかてかの金ぴかジャケットを着て、首には扇子を二つあわせたようなヒダヒダがついた七色の大きな蝶ネクタイをしていた。
 宴会で催されるようなかくし芸にぴったりの素人らしい服装だが、慌てて穿いたのであろうか、ジャケットとおそろいの金ぴかパンツのファスナーが潔く開いていた。
 見事に社会の窓を全開したまま、恥ずかしげもなく、一人ノリに乗った掛け声をかけながらくねくねと独特のリズムで踊りまくっている。
 みていて恥ずかしくて、顔を伏せたくなったが、葉羽が「よっ、シショ、かっこいい」などと声を掛けるので、どこがそう思えるのか怖いもの見たさで再びじっとみてしまった。
 葉羽の掛け声に気を良くしたサボテン爺さんは、益々得意げになって、道具を手に取り手品を始めた。
「なあ、兜、お前はこれを見てどう思ってるんだ?」
 俺は見兼ねて小声で隣に座っていた兜に意見を求めた。
「ん? 普通。いつものことだから」
 何事にも動じてない兜の大人な感性に、俺は自分がおかしいのかと思ってしまう。
「だって、あれ、よくみてみろよ、前、開いてるぞ」
「うん、あれもよくあることだから。慣れた」
 おい、これは慣れで済まされるものなのか。
 一人で突っ込みながら、俺は念力でも送るように、サボテン爺さんが自分で気が付いてくれることを願った。
 俺は子供ながら愕然と、ただただ目の前で繰り広げられる異様な光景に、凍りついた。
 兜は平然と見ているし、葉羽はいかにも楽しそうにキャッキャと声を出して喜んでいる。
 そして俺は、ただ口を開けて、ポカーンとしていた。
 そうなったのも、回りの対応についていけなかっただけじゃなく、サボテン爺さんの手品のすごさの意味が分かったからだった。
 トランプ手品をすれば、途中で見事に手から滑り落ちて、最後はかろうじて手に残っていたトランプまで放り投げていた。
 失敗してもオーバーなリアクションで、とてもすごいトリックを見せたように意気揚々と大げさなポーズをとっている。
 空の箱から何かを取り出す手品もトリックが丸見えで、台の下から何かを引っ張って、いかにも箱から出てきましたよと演技している。
 何も持っていないと掌を前に出して見せれば、ジャケットの袖からは紐が思いっきり見え、まさかあれを引っ張りだすのではと思えば、その通りのことが起こった。
 水が出てきたときは、これはヤバイと思ったのも束の間、見事にバシャッとこぼれた。
 それを困ることもなくペースを崩さずに手品は続くから、最後は俺も笑うしかなかった。
 サボテン爺さんは失敗も恐れず、それは見事に楽しく一人で手品を続ける。
 その姿は失敗しても、一生懸命という姿が美しいと教えられたような気分だった。
 あまりにも圧倒されて、ここまでくると本当にすごいとしか言えなかった。
 この爺さん只者ではない。
 なんだか震えてきたが、それは汗ばんだシャツが冷やされて、体温が逃げたからかもしれなかった。
 いや、これは魂が浄化されたサインなのかもしれない。
 それほど、その数々の失敗が、清々しくあっぱれで、却って気持ちよく思えた。

 やっと一通りサボテン爺さんのショーが終わったところで、葉羽と兜は敬愛を込めて拍手をし、放心していた俺は、一テンポ遅れて慌てて手を叩いた。
 落ち着いたところで回りを見れば、サボテン爺さんの足もとで先ほどよりもさらに部屋がちらかっている豪快なめちゃくちゃさに、俺はお見事と思わずにはいられなくなった。
 これが葉羽が言っていたすごい手品だった。
 葉羽は手品を楽しむというより、このサボテン爺さん自体が好きなのだろう。
 サボテン爺さんも満足した笑みを浮かべて、優しい眼差しを俺たちに向けていた。
「さあ、次はアイスクリームをみんなで食べよう」
 サボテン爺さんは部屋を片付けることもなく、俺たちをダイニングテーブルがある台所に連れて行った。
 金ぴかの衣装にもすっかり目が慣れて、知らずと違和感なくなっていた。
 本当にサボテン爺さんに相応しい姿だった。

 俺たちは案内されたダイニングテーブルの椅子に腰を下ろすと、サボテン爺さんは冷凍庫からカップに入ったアイスクリームを取り出して、俺たちの目の前に置いた。
 それは値段がその辺のものよりも高い、誰もが知ってる高級アイスクリームと謳われるものだった。
 少なくとも俺はこういうアイスクリームを滅多に食べられない。
 さすが金持ちだと、そのアイスクリームを惜しみなく俺たちに差出す、サボテン爺さんの大盤振る舞いの気前良さを感じた。
 家には他に誰もおらず、この時、サボテン爺さん一人で留守番していたらしく、アイスクリームを食べている間とても静かだった。
 ここには他に誰が住んでいるのだろうか。
 子供だったし、誰が住んでようと興味もないから一々聞かなかったけど、回りの整理整頓された様子や、行き届いた掃除から家族はまともな人だと思った。
 サボテン爺さんの部屋だけがあまりにも汚かったのは、家族もきっと匙を投げているのだろう。
 それと家の周りのサボテンも然り。
 その他は、サボテン爺さんの好きにはさせないように、家族も目を光らせているのだろう。
 手品とサボテンを除けば、家族の中でも一目置かれ、周りは干渉なく好きにさせてる。
 初めて会ったけど、葉羽が慕ってるのを見れば、サボテン爺さんの人となりはなんとなくわかるものがあった。
 俺がよその街から来た子供だと分かっても、サボテン爺さんは隔てることなく「はるばる遠い所から、よう来たのう」とまるで自分に会いに来たことを絶賛するように褒め称える。
 すっかり俺もそのペースに取り入れられ、笑いながらアイスクリームを口に入れていた。
 サボテン爺さんはどこか変わったおかしな雰囲気がするが、子供にも丁寧に話し、身振り手振りで熱く語るので、それが楽しい。
 葉羽が師匠と呼ぶだけあって、俺もすぐに魅了されてしまった。
 アイスクリームを食べ終わると、サボテン爺さんは、部屋のあちこちに散らばっていたサボテンの鉢植えを、テーブルに置き出した。
 これもまた手品と同じくらい意味のあることなのだろう。
「どうじゃ、かわいいだろ」
 まるで自分の子供達を自慢するように、サボテンを見せてくる。
 そこにはとげとげをいっぱいつけた、色々な形のサボテンがあったが、花を咲かせてるものあり、言われて見れば可愛く思えてくる。
 その棘に触れれば痛いのだろうが、緑色のぼてっとしたボディは愛嬌があった。
 サボテンは接ぎ木をすることができ、中にはサボテン爺さんが改造したものも含まれていた。
 とにかくサボテンに魅了されて、どんどん増えていってしまったらしい。
 サボテンに憑りつかれた爺さん。
 そこにはサボテン爺さんの信念も関係していた。
「サボテンはいいぞ。不思議な力を持っていてな、特に満月の光を浴びると不思議なことが起こるんじゃ」
 その話を興味津々で葉羽は聞いていた。
 俺はこういうオカルト的、またはスピチュアルな事には少し冷めていたので、これも大人が子供を騙すよくある手だと思って、適当に聞いていた。
「シショ、一体どんな不思議な力があるんですか?」
 葉羽がもっと知りたいと目を輝かせている。
「さあ、いろんなサボテンがあるから、どんな力があるかはっきりといえないけど、とにかく奇跡を起こす」 
「奇跡?」
 俺が思わずそう繰り返すと、サボテン爺さんは感慨深くゆっくり頷いた。
「どうじゃ、サボテンが欲しくなっただろう」
 サボテン爺さんは、サボテンを広めようと、ロビー活動するどこかの団体の回し者だろうか。
 そんな話をされても、俺にはどうでもよかった。
 奇跡なんて何が起こって奇跡というのだろうか。
 俺には縁が遠すぎた世界だった。
 漠然としすぎてピンとこなかったのもあるが、俺はただサボテンを見ていた。
 兜もまだ小さすぎて話が飲み込めないのか、俺と同じようなリアクションだった。
 だが、コイツの場合どうも冷めたガキという要素は元からあるようだったが。
「いいんじゃよ、欲しいサボテンがあったらあげるよ。遠慮なく言ってごらん」
 気前のいいおじいさんという事は分かったが、サボテンは棘があるだけに痛々しげで欲しいとも思わなかった。
 でも葉羽はサボテン爺さんの言うことは、全て自分の喜びとでもいうくらい笑顔になって、素直に欲しそうな顔を向けていた。
「シショ、ほんとにいいんですか。私、あのサボテンが気になって」
 葉羽が指差したのは、台所の流しの上にある出窓に飾られた、丸いサボテンだった。
 サボテン爺さんはそれを手にとって葉羽の前に差し出すが、不思議そうに眉根を寄せていた。
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