第一章


「葉羽ちゃん、どうしてこれが欲しいんだい」
 サボテン爺さんが不思議に思ったのは、そのサボテンはどこか元気がなく少し枯れかけていたからだった。
 目の前には青々と形のいい元気なサボテンがあるのに、葉羽はなぜそのサボテンを選んだのだろう。
 俺も不思議に思っていると、葉羽は優等生が授業中に当てられて模範解答をするようにハキハキと答えた。
「この部屋に入ったとき、目と目が合って、話しかけられた気分になりました」
「ほぉ、面白いことを言うのう。これは実はちょっと枯れかけてたからどうしようかと思って、とりあえずここに置いたとこだったんだ。もしかしたら、捨てられるとでも思って助けを求めたのかもしれないな。でもこのサボテンでいいのかい? 枯れてしまうかもしれないよ」
「私、看病してみます。なんだか放っておけなくなりました」
「そっか、それなら別にいいけど」
 葉羽はそのサボテンを無謀にも撫ぜようと、指で軽く触れた。
 案の定、簡単に指に刺さってしまった。
「痛い」
 小さく呟やいて、人差し指を見れば、赤い点を打ったように血がちょっぴり顔を覗かせるくらいに現れた。
 サボテンなんか触るなよと、俺は思ったが、葉羽は「やっちゃった」と舌を出して自分の不器用さを認めていた。
 その時、葉羽の指を刺したサボテンの棘の先端が、仄かに赤く見えたように思えた。
 もしかして葉羽の血?
 目の錯覚だったんだろうけど、それが一瞬にして吸い込まれて消えたようにも見えたので、吸血鬼ならぬ、吸血サボテン? などと一人でバカバカしいことを考えていた。
 俺と兜にもサボテンを薦められたが、俺ははなっから興味がなかったし、兜は葉羽が指を刺した事で危ないものと思って、怖がって断った。
 何気に兜が壁にかかっていた時計を見たとたん、みたいアニメがあるからと思い出したように叫んだので、俺たちはサボテン爺さんの家を去ることにした。
 葉羽は自分のものになったサボテンを大切に抱え、玄関先でサボテン爺さんに丁寧に礼を言う。
「葉羽ちゃんは変わってるのう」
 それを言うならサボテン爺さんの方がもっと変だといいたくなったが、その変な爺さんが、真顔で葉羽を見つめてるから、変という定義がわからなくなってしまう。
 葉羽のあどけない笑顔を見れば、年寄りなら誰しもそれがとてもかわいい子供の笑顔で、天使に見えたことだろう。
 実際この俺も、会ってまだ数時間そこらだったけど、葉羽の素直さはかわいいと漠然的に感じていた。
 サボテン爺さんも葉羽がかわいいと言おうとしたのだろう。
「葉羽ちゃんには妖精の血が混じってるのかもしれないな。サボテンの声が分かるのは妖精たちだから」
「だったら嬉しいです」
 おいおい、鵜呑みにするなよと側で突っ込みながらも、俺たちはサボテン爺さんに「ありがとうございました」と頭を下げて家を出た。
 俺にも分け隔てなく「またいつでも来なさい」と別れ際に念を押してくれた。
 人に優しくされるのはやっぱり気持ちがよかった。
 また暑い外に戻れば、折角引いていた汗が再びジワリとしみだしてくる。
 たくさんのサボテンをもう一度目に収め、俺は暫しの奇妙な体験を、太陽の日差しの下で目を細めながら本当に起こったことだったのか、自問自答していた。

「なんかすごいお爺さんだったな」
 サボテン爺さんの家を離れてから俺がぼそりと呟くと、隣で俺の手を繋いでいた兜は「普通だよ」と答えてくれた。
 その時、葉羽は俺たちの後ろを、サボテンを抱えて歩いていたはずだった。
 そう思って、葉羽に話しかけようと後ろを見ると、葉羽の姿が見えなかった。
「あれ? 葉羽がいない」
 立ち止まってキョロキョロして、今来た道を戻ろうとすると兜が叫んだ。
「あ、お姉ちゃん、あんなところにいる。ずるい、近道知ってたんなら教えてくれればいいのに」
 葉羽はその先の角の向こうから姿を出し、俺たちよりも数十メートルほど前を歩いていた。
「いつの間にあんなところに」
 俺と兜は走って葉羽に追いつくと、葉羽は疲れたような顔をしていた。
 あれだけサボテン爺さんの家で意味もなくはしゃいでいたら、疲れもでてくるだろう。
 弟子として師匠を立てなければならない気苦労さがあるのかもしれない。
 俺が半分気の毒そうに、半分呆れた顔をしていると、葉羽は無言でじっと俺の顔を見つめた。
「な、なんだよ」
「えっ、その、あの、なんでもない」
 葉羽はサボテンの鉢植えを胸に抱え込んで早足で歩き出した。
「お姉ちゃん、待ってよ」
 その後を兜がついていくから、俺も仕方なく早歩きで後を追った。
 家に帰れば、伯母の車が車庫に入っていた。
 買い物から帰ってきたらしい。
 俺はお互いの家を挟んだ道の真ん中で、葉羽と兜にとりあえず即席にとってつけたような、ありがとうを口にした。
 本当は楽しかったのに、ちっぽけな『プライド』に逆らえず本心を隠している自分が情けない。
 そんな俺を素直に兜が慕うから、余計に面映ゆく感じた。
「お兄ちゃん、明日も遊びに来てよ」
 兜はもっと遊びたいと誘ってくれたが、俺は葉羽の様子を窺いながら曖昧に「ああ」と返事をした。
 やはりまた葉羽と一緒に遊ぶのはなんだか気恥ずかしい感じがしたし、俺は素直になれるタイプじゃなかった。
 プライドも高く、どこか捻くれて、人が優しく接してくれてもわざとつれない態度を取ってしまう。
 それなのに、構ってもらえるとどこか嬉しいと感じるところもあるから、自分でも訳がわからなくなってしまう。
 葉羽はどう思っているのか様子を探れば、まだぼんやりとした表情をしていた。
 葉羽が大事に抱えていたサボテンも同時に目に入ったが、最初に見たときと少し何かが違っているように見えた。
 そのサボテンにすでに咲き切ってしまった萎れた花がついていたからだった。
 花なんて咲いていただろうか。
 球体のように丸くそれが上半分だけ土から出たようなサボテンだから、もしかしたらさっき見えなかった裏側だったのかもしれない。
 かなり枯れかけているようにもみえて、やはりもう寿命尽きて枯れていく運命のサボテンなのだろう。
「なあ、そのサボテンさ……」
 俺が枯れるかもしれないと言おうとしたが、葉羽はその先を聞きたくないと言いたげに遮った。
「このサボテンは大丈夫。これから奇跡が起こるから」
 葉羽は絶対に枯れさせたくなかったのだろう。
 強くそういいきって、そして俺の目をじっと見つめた。
「さっきから、挑戦的な目で俺をみるけど、俺なんか怒らせたのか?」
「えっ、そんなことない。あの、やっぱり明日も一緒に遊ぼう」
 葉羽からもそう言われると俺は「わかった」と自然に返していた。
 そして俺がここに滞在している間は、ずっと葉羽と兜と過ごすことになった。
 それは成り行きでそうなったことにしながら、俺は内心一緒にいられることが嬉しくてたまらなかった。
 でもサボテンを手にしてから、どこか葉羽は俺を見る目つきが違っていた。
 何かに怯えるように、俺を心配して、時折り目に涙が溜まるように潤んでいる瞳をしていた。
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