第三章 導くサボテン



 二学期が始まり、転校してきた俺もその学校に慣れ、周りの事がなんとなく分かるようになっていた。
 ここの中学はそんなに悪くはないと思う。
 まだ転校して数ヶ月そこそこでは、大目に見られるというのか、異物扱いがまだ抜けきらないというのか、好きにさせてくれて、とにかく自分が困るほどの不自由さはない。
 だけど伯母の家にお世話になってる居候だけに、俺が出来ることは勉強しかなかったので、それだけは気を抜けず、怠けられなかった。
 勉強というものは努力すれば分かりやすく結果に繋がって、中間テストの結果が出たときには、伯母も喜んでくれるほどの成績を収める事ができた。
 その頃になると、先生と生徒にも、勉強ができる転校生だったと知れ渡って、少しは一目置かれるようになったくらいだった。
 その陰で俺に負けた奴には面白くなかったかもしれないが、表ざたに露骨にライバル心を向ける奴もいなかったのが幸いだった。
 別にテストでいい点を取ったからって、どうするわけでもない、
 先生がクラスで俺の事を褒めても、いつものように静かに普段通りにしていた。
 でも、あまりにも無愛想でつかみどころがないため、俺の人間性の評価は低く、却ってそれが気持ち悪がられてたかもしれない。
 俺はどう思われても構わなかった。
 その辺に生えてる雑草のように、誰にも気にされない透明人間になれることが、一番ほっとした。
 そんな俺であっても、時間が経てば、変化が生じてきた。
 俺と似たようなタイプが集まるグループと知り合い、一緒につるむ友達ができたのだった。
 心を開くほどではなかったが、自分が不利にならないだけの知恵はつき、それなりに適当に付き合っていた。
 当たり障りのない関係。
 それを気さくと取ってくれる人もいるようで、俺は自然にこの学校に溶け込んでいった。
 学校が変われば、こんなにも違ってくるものかと、環境もまた自分の運を左右するものを感じた。
 過去の学校では未だに俺が負け犬として笑われているだろうが、もうどうでもよくなって、俺は昔の自分を捨てて、新たなものになりたかった。
 もしかしたら、変われるんじゃないかと少し自分に期待する。
 こんなことを思うようになっただけでも、すごいことだった。
 相変わらず、ふてぶてしさは皮膚の下に隠れてるだけで、すぐ化けの皮がはがれそうだが、今のところは落ち着いていた。
 これも一緒に笑ってくれる友達ができたお陰かもしれない。
 誰かと一緒にいる。
 それは本当に心強かった。
 学校生活が充実してくると、心にも余裕が現れ、俺は葉羽の事が気になって仕方がなかった。
 あのすれ違いのまま何も変わっていない。
 最初は自分がよそよそしい態度をとっておきながら、葉羽の優しさに甘えて、やっと再び話せるようになったと思ったら、今度は葉羽がよそよそしい態度になってしまった。
 手品を見せてくれると約束したのに、それすらなかったことのようにされて、なんだか俺は寂しくなった。
 男の子と女の子の性別の違いを分ける分岐点とでも言うべき思春期のすれ違い。
 葉羽もまた俺の知らない所で何かの壁にぶち当たって、もがいているのかもしれない。
 俺は自分から歩み寄ることも出来ずに、様子を伺う毎日だった。
 秋の夜長を楽しむ満月が美しく映える夜のことだった。
 友達に付き合って遊んでいたら、すっかり遅くなってしまった。
 辺りはどっぷり暮れて、夜空にはくっきりとした丸いお月様がすべすべしたように美しく見えた。
 その満月を見ながらの帰宅途中、俺はふいにサボテン爺さんの事を考えていた。
 満月の光を浴びたサボテンは不思議なことが起こる、と言っていたことを思い出したからだった。
 あの家のサボテンはどうなったのだろうかと思うと、なんだか無性にサボテン爺さんの家に行きたくなり、俺はうろ覚えの記憶であの家を探し始めた。
 大きなサボテンに取り囲まれた家だったから、見ればすぐにわかると思っていたが、そのサボテンの家が見つけられない。
 苗字も思い出せず、サボテンっぽい雰囲気があった苗字だったような記憶だけは残っていた。
「サボ山、サボ田、サボ川、あれ? なんだっけ」
 本当は緑川さんだったが、サボテンの色と緑が当時は結びついてサボテンのような名前と思っていただけだった。
 怪しく挙動不審に辺りをキョロキョロしながら歩く俺に、犬の散歩をしていたおじさんが声を掛けてきた。
「どうしたんだい? この辺りで見かけない学生さんのようだけど」
 怪しいと疑われていても、この場合はちゃんとした理由があったので、声を掛けてくれたのは有難かった。
 サボテン爺さんのことを話し、その家を探していると説明すると、おじさんは警戒心がとけたように親しく話してくれた。
「ああ、緑川さんの爺さんか。昨年お亡くなりになって、あの家は家族の方が売りに出されて、それからサボテンも片付けられてしまったよ。なんかこの街の名物が消えたみたいで私も寂しく思ったもんだった」
 家の場所を教えてもらって見に行けば、おじさんが言ってた通り、その家にはサボテンはなかった。
 表札も別の名前が掛かっており、建物自体は変わってないはずなのに、そこには小学生の時に見た家とは違うものが建っていた。
 冷たい月の光が、無情にあの頃の面影をなくした姿を照らしだす。
「一つでもサボテンが残ってたらよかったのに」
 俺はサボテンが妙に懐かしく、あの時一つ貰っておけばよかったなどと今更後悔しだした。
 その時、葉羽が貰ったサボテンを思い出し、あれはどうなったのだろうと気になって仕方がない。
 枯れかけてただけに、すでにもう手元にないだろうと思っていたが、満月を見上げ、透き通る光があまりにも美し過ぎて、サボテンの事が頭から離れなくなった。
 俺は月の魔力で好奇心がうずいてしまった。
 慌てて夜道を歩き、伯母の家ではなく葉羽の家の前に立ちふさがった。
 このまま帰るか、それとも葉羽に会うか、少し迷い満月の夜空を仰いだ。
 真珠を思わせるようなその月の光が優しく微笑んで味方してくれているようで、俺はその光に促されるようにインターホンを押していた。
 「はい」と葉羽の母親の声が聞こえてきた。
「悠斗です。あの、その、葉羽に会えますか?」
「悠斗君? あっ、ちょっと待ってね」
 その後、ドアが開くと夜の突然の訪問にもかかわらず、いつもの上品な笑顔を添えて母親が出てきた。
「こんな時間にどうしたの? 今ね、葉羽、お風呂に入ってるんだけど、よかったら中で待つ?」
「えっ、お、お風呂?」
 別に一緒にお風呂入ると言われたわけじゃないのに、お風呂という響きになんだか俺の顔が急に熱くなっていた。
「いえ、その結構です」
 慌てている俺が可愛いと思ったのか、葉羽の母親はくすっと笑っていた。
「あの、一つ聞きたいんですけど、葉羽はまだサボテンを持ってますか?」
「サボテン? ああ、あの丸いサボテンのこと? あれならインテリアとして葉羽の部屋に飾ってあるけど」
「まだあるんですか?」
「うん、あるわよ。葉羽はとても大切にしていて、まるで生き物のように扱ってるわ。時々話しかけたりなんかして、入院しているときも持ち込んだくらいなの よ。縁起が悪いから根付くものをあまり病院には持って行きたくなかったのに、それでも特別なものだからって言って聞かなくてね。だけどあのサボテンがどう かしたの?」
「それなら、今夜月明かりにそれを浴びせて欲しいって伝えてくれませんか?」
「ええ、いいけど、一体どうしたの?」
「サボテン爺さんが……」
 俺はなぜそんな話をしたのかわからないけど、サボテン爺さんと出会ったときの事とサボテンのエピソードを話していた。
「そうなの。だから葉羽はあのサボテンを大切にしてるのね。葉羽は緑川さんにとても可愛がってもらってたからね。わかったちゃんと伝えとくね」
 葉羽の母親は、月の光に負けないくらいの優しい笑顔を俺に向けてくれた。
 俺はおやすみなさいと挨拶をして、その場を後にした。
 そしてもう一度月を眺めれば、なぜ今夜こんな事をしたのだろうと、自分の思い切った行動が不思議でたまらなくなった。
 満月の夜は狼男に変身するくらい、昔から何らかの影響を与えるといわれている。
 そんな力が自分にも及んだのかもしれなかった。
「まさか狼に変身ってことはないよな」
 俺は思わず自分の体をチェックしていた。

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