第四章 願うサボテン


「悠斗君ってどうしてなんでも一人で抱え込んで機嫌が悪くなるの? もっと気楽になろうよ。人生は楽しいよ」
 指をパチンと鳴らすようにこすり合わせると、手からバラの花が出てくる練習を葉羽の部屋でしているときだった。
 俺はその時確かに浮かない顔をしていたと思う。
 いつもの俺の悪い癖でもあるのだが、葉羽もいつもの癖で構ってくれてただけだった。
「ほうら、人生はバラ色にならなくっちゃ」
 たまたま葉羽の調子がよく、その手品は手に仕掛けていたトリックが上手く作用して、次々と造花の赤い薔薇が現れた。
 葉羽は調子に乗って、俺の目の前に薔薇を落としていく。
 目に飛び込む赤色が急に癪に障ったと同時に、俺は自分の人生がクソ色にしか感じられず、それに反発してしまった。
「いちいち、どうしてお説教みたいに指図すんだよ」
「だって、私は師匠だもん。弟子に指図して何が悪いの?」
「いちいち煩いんだよ!」
「悠斗君、どうしたの?」
 葉羽はうろたえ、震えていた。
 吐き捨てるように言った俺の言葉が蛇のような鎖となる。
 葉羽はそれに巻き付かれたように動きを封じられて、立ち竦んでいた。
 じっと俺を見つめる瞳が、やがて潤って揺れている。
 どんな慰めも、アドバイスもこの時の俺には聞く耳持たずだと思って、ただ口を閉ざして、泣きそうになるのを耐えていた。
 沈黙がずしりと俺たちに圧し掛かり、益々重苦しくなってくる。
 俺はそれに耐えきれず、愚痴をこぼした。
「葉羽はいいよな。優しい両親が揃って、弟も物分りよくって、最高の家族だよな。そして住む家も大きくて金持ちで、本当にお嬢様だもんな」
「そんなことないよ……」
 消えいるような声で、葉羽は精一杯否定する。
「この先も何も心配することなく、ここでヌクヌクの生活じゃないか。俺は虐めにあって学校をやむなく変えなければならなかったし、今は伯母に世話になって ても、中学卒業したらここから出て貧乏な暮らしが待ってるし、さらに親は離婚してるし、嫌な事ばかり振りかかって、苦労の連続だ。人生って不公平だよな」
「どうしてそんなこと言うの? 皆それぞれ必死に生きてるじゃない。そんなの人それぞれで、比べる方がおかしいよ」
「だから恵まれてるからそう言えるのさ。俺みたいに不幸を味わってみろよ。絶対そんなこと軽々しく言えないぜ」
「ううん、私はそうは思わない。私だってそれなりに悩みはあるし、生きていたら皆何かしら悩む事があって、そしてそれを一生懸命克服しようとするんだよ。 それが人生なんじゃないの。どんな環境であれ、後悔のないように一生懸命生きることは皆に同じように与えられてると思う。自分でどう捉えるかで幸せになれ ると思う」
「やっぱり葉羽は何も分かってないから言えるんだ。俺はもうなんだか疲れてきた。手品もやめる。いっそのこと学校も辞めてもう働いた方がいいかもしれない。そしたら母親や伯母にも迷惑かけないですむだろうし」
「それはできないよ。中学はまだ義務教育だよ。それに悠斗君は高校に行って大学にいくんだから」
「なんでそう決め付けるんだよ」
「だって悠斗君は将来先生になるんでしょ」
「えっ? 俺そんなこと葉羽に言ったことない」
「でも、悠斗君は将来先生になるよ」
「だからなんでそう決め付けて話すんだよ。押し付けられるのはもういやなんだ。俺にはこれ以上構わないでくれ」
 俺は立ち上がって部屋から出て行こうとすると、葉羽は咄嗟に背中から俺を抱きしめた。
「悠斗君、待って。話を聞いて」
「おい、離せよ、いきなり抱きつくなんて気持ち悪いんだよ」
 俺は体を大きく左右に振って手をバタつかせ、ヤケクソに葉羽を振り払った。
 葉羽はどうにもできないと諦めて俺から離れると、俺は尽かさずドアを開けて階段を駆け下りた。
 葉羽の家から飛び出したとき、追いかけてくるかとつい立ち止まってしまい、その時、俺は葉羽が抱きついたとき嫌じゃなかったことにはっとした。
 それが俺の慰めて欲しい願望であり、構って欲しい俺の気持ちの裏返しだったと気がついた時はもう遅かった。
 葉羽に八つ当たってしまった事が悔やまれる。
 でもまた意地っ張りの性格が顔を出し、俺はとぼとぼと目の前の伯母の家に戻って行った。
 また同じことの繰り返し。
 精神と体のバランスが悪くて感情で行動してしまうのは、俺が思春期だからなのか、それとも俺の父親の遺伝からきているのだろうか。
 後者だとすればもう救いようがなかった。
 その晩、また眠れなくなり、自分のしでかした事がフラッシュバックして苦しくなってしまう。
 でもあの時の葉羽が言った『将来先生になるよ』という言葉が思い出されて、不思議でならなかった。
 一体どこからそんな話になったのだろう。
 まだ将来、何になりたいのか自分でも決めたことがなかった。
 勉強だけは義務でやってきたけれど、自分が先生になりたいなんて思ってもみなかった。
 時々兜の宿題を手伝っては分からないところは教えてあげたが、葉羽はそれを見てたからあんな事を言ったのだろうか。
 教師という職業について俺は暫く考えてしまった。
 自分がもし教師になったとしたら、俺はいじめっ子をとことんお仕置きしてやりたい。
 そして弱い俺のような境遇の生徒を可愛がって、将来立派な道に進めるように指導してやりたい。
 俺が自分にそうして欲しいと願うように、自分の中で理想の先生像というものを想像していた。
 しかし、そんなことで気分が紛れるわけもなく、葉羽に八つ当たってしまったことは、今頃になって恐ろしく罪意識を感じる。
 そしてそれがずっと尾を引いてしまって、また暫く葉羽と会わないでいると、二人の間には深い溝がどんどん広がっていくように思えた。

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