良いも悪いも消しゴム・ガロア


 遥に会いに来たつもりだったが、西野川という表札をみたとき、思わず教頭の顔が浮かび、僕たちは急に緊張した。
 僕は哲司と顔を合わせ、息を大きく吸いこんで覚悟をし、門の端についていた呼び鈴を、勢いで押した。
 暫くして、スピーカーからガチャガチャとした物音が聞こえた。
 体が強張る。
「はい、どちら様ですか」
 インターフォンから聞こえた遥の声で、少しだけほっとした。
「賛太と哲司」
 僕が代表して答えた。
「えっ、ちょ、ちょっと待って」
 遥は僕たちが来たことで非常に慌てて、瞬時に玄関の引き戸をスライドさせて、すぐに顔を見せた。
 思ったより元気そうだった。
 僕たちは家の中に通され、池が良く見える縁側のある部屋に案内された。
 なんだか京都の寺院に来たようだ。
 家の作りがすごすぎて、座っても落ち着かず僕たちはそわそわしていた。
 遥は僕たちを見てクスッと笑った。
「安心して、おじいちゃん、まだ帰って来てないから。今、家にいるのは私だけ」
 それを聞いて一気に肩の力が抜けた。
「えっと、なんか飲む?」
 奥へ引っ込もうとしている遥を僕は引き留めた。
「いいから、ここに座って」
 遥はためらいながら、座卓を挟んだ僕たちの前に座った。
 私服姿の遥はかわいかった。
 遥は僕が何を話すのだろうと不思議そうに見ている。
 僕はまず喉を「えへん」と鳴らした。
「えっと、とりあえず、体調はいいの?」
 遥は首を縦に振る。
 それを見て「よかった」と哲司が言った。
「まさか、二人してお見舞いに来てくれるなんて思わなかった」
 今度は遥が落ち着きをなくして、僕と哲司を交互に見た。
「あのさ、僕たちがここに来た理由なんだけど、知らせに来たんだ」
「えっ、知らせに? 何を?」
 遥が言ったあと、間を取るようにタイミングよく、カコーンと鹿威(ししおど)しが音を立てた。
 一瞬の静寂が広がったとこで、僕はゆっくり口を開いた。
「池に石を投げた犯人がわかったんだ」
「えっ?」
「えっ!」
 遥だけじゃなく、哲司も驚いていた。
「おい、本当か、一体誰なんだ」
 哲司が急かした。
「消しゴムを投げたのが僕だとわかったとき、遥は僕に対して怒らなかったよね」
「それは小さいモノだったし、理由もちゃんと聞いたから、怒る必要ないと思った」
「違うんだよ。遥はあの時、僕を怒るべきだった」
「えっ?」
「だって、そうしなければ、遥は池に石を投げた犯人を知ってる事になるから」
「どういう事だ、賛太。一体何がいいたい」
 哲司が身を乗り出した。
「ほら、哲司は消しゴムを見たとき、すぐに僕を疑っただろ。あの出来事があって、そんなものを庭に投げ入れたら、石だって投げいれると疑うのが普通なんだ。それをしないとなると、僕が犯人じゃないってわかってるから、疑う必要はないってことさ」
「あっ」
 遥が僕の意図に気が付いた。
「遥、本当は犯人を知ってるのか? だったら、犯人を庇ってるのか」
 哲司にきかれ、遥の目が泳ぎだす。
「庇ってる訳じゃないの……」
「ただ、言えないだけだよな。だって、その犯人は遥自身なんだから」
 僕の言葉に、遥は涙を目に溜めだした。
「おい、何言ってんだよ、賛太。遥が犯人の訳ないだろ」
「ううん、サンタの言う通りなの。石を池に投げたのは私。そんな事しか思いつかなくて。だって、家の物を壊したら、外部のせいにできないから、外からの犯 行に見せかけるには石を投げる事しかできなかった。もっと力があれば、ガラスくらい割りたかったけど、そこまで届かなかっただけ」
 何かの笑い話のように、遥は力なく微笑(ほほえ)み、そして頬に涙が伝わっていった。
 僕は少しだけ顔を背け、外を見る。
 静かなその部屋から見る庭の池は、お金を払って入る日本庭園のように見事な景色だった。
 それは寛大に遥を許しているように思えた。
 気持ちが次第に落ち着いて、僕も負けずに、哲司が犯人と疑っていたこと、哲司も僕が犯人と疑っていたことを話した。
 話し終ると、やっぱり滑稽(こっけい)な話で、僕たちは笑い合った。
 でも遥はお愛想程度に微笑み、そして申し訳なさそうに俯(うつむ)いた。
「そっか、迷惑かけてごめんね」
「それは勝手に僕たちが思い込んだことであって、遥は悪くないよ。そうだよな、哲司」
「そうだよ。遥は俺たち側を代表してやったことなんだ。それは称賛に値する」
「とにかく、悪いのは教頭先生の行動だ。あそこまでする必要なかったんだ。だけど、西野川が遥のじいちゃんだなんて、なんか信じられない。家でもあんな感じなの?」
 僕が西野川の話題を出すと、遥は誰も知らない真実を語ってくれた。
 西野川が婿養子でこの家に来てから肩身が狭く不満をいつも溜めたらしい。
 だから学校で、先生と言う立場を利用して威張り散らすのだそうだ。
 そして教頭ではまだ満足しきれず、最高の地位である、校長の座を狙っている事も教えてくれた。
 そんな祖父を持つ遥が気の毒に思えてならなかった。
「サンタが消しゴムを投げて猫を追い払った話を聞いたとき、世間はやっぱり事件を忘れてなくて、祖父と猫を結び付けてしまうんだって思って、また怒りがぶり返して、衝動的にやってしまったの。普段から祖父のこといいように思ってないから、私も気持ちが抑えられなくて」
 やっぱり僕が寝た子を起こしてしまった。
 そしてそれがきっかけで、再び遥は注目を浴びて、からかう奴が出てしまった。
 少なからず僕も関係しているから、僕は謝った。
「ごめん、遥」
「サンタのせいじゃないって」
「でも僕のせいでまたぶり返して、遥は学校に来にくくなったじゃないか」
「ううん、私が学校を休んだ理由はそれじゃない」
「えっ?」
 僕と哲司は顔を見合わせた。
 遥は言いにくそうに、そして恥ずかしげに僕たちを見て言った。
「サンタとテツの仲が悪くなったから、そんな二人を見てるのがつらかったの。それに喧嘩してたとしたら、どっちの味方もできないと思ったから、苦肉の策で学校休んじゃった」
 遥は僕たちそれぞれに笑顔を向けた。
 なんだかわからないけど、思わず笑いがこみ上げる。
 遥は僕たちのことを大切に思ってくれてたらしい。
 なんだか照れくさくもあって、気を利かして哲司が、腰を上げた。
「さて、西野川が戻ってくるかもしれないから、俺たちはさっさと帰るか。これで、この件は全て一件落着だ。遥、本当の事は誰にも言わなくてもいいからな」
「犯人が誰だなんて、西野川以外興味ないだろうしね。この真実は僕たちだけの秘密だ」
 僕たち三人の秘密とかっこつけてみたものの、実際は孫と祖父の問題だった。
 自分の孫である遥から嫌われている事を知ったことで、僕たちはもう西野川に対して怒りもなく、どうでもよくなった。
 これほどの因果応報もないだろう。
 帰る間際、僕はもう一度庭を見る。
 カコーンと鹿威(ししおど)しの音が再び鳴って、情緒あふれる。
 その音ですっきりとこれで終わりと締めくくりたいが、もう一つ僕が気づいた事実があった。
 僕はそれをまだ言えなかった。
 玄関で靴を履き、僕たちはもう一度遥と向き合う。
「それじゃまた明日」
 僕が先に言う。
「待ってるからな」
 哲司が言った。
 その時、遥が見せた笑顔はとてもキラキラと輝いていた。
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