第二章
9
暫くした後、停車した停留所で、黒い革ジャンを来た白人男性がバスに乗り込み、そして動き出したすぐその直後、辺りは緊張に包まれた。
その男は銃を持ち、運転手に向けたからだった。
そして乗客に向かって、不気味な笑みを浮かべ、バスジャックしたことを伝える。
「(殺されたくなかったら、大人しくしろ)」
銃を見せつけ、この上ない優越感に酔いしれ、この瞬間をこの男は異常者の狂った目つきになりながら悦に浸っていた。
バスの運転手は「目的は何だ」と問いかける。
「(社会への復讐さ。俺は会社を首になり職を失った。金もなしに、住む所も追い出されたのさ。こんな世の中いやなんだよ。失うものは何もない。だから暴れ
てやるのさ。この乗客達を道連れにな)」
「(馬鹿なことはやめるんだ。それなら乗客を降ろさせてくれ。人質は私一人で充分だろ)」
「(いや、ダメだ。こいつらは俺の手の中に運命を委ねられているんだ。そんな楽しいことみすみす諦めろというのか。俺が味わった絶望感を同じように味あわ
せてやる)」
乗客たちは狂気の沙汰のバスジャックと、運転手の会話を固唾を呑んで聞いて、恐怖のどん底に陥っていた。
だが一名、何が起こってるかわからずに暢気に寝ていた奴がいた。
「(いいか、このまま真っ直ぐ走らせるんだ。そのうちこのバスがおかしいことに気がつく奴が出てくるだろう。そのとき一人一人撃ち殺してバスから投げ出し
てやる)」
声も出せずに乗客は震え上がり、バスはルートを外れて走り続ける。
運転手はバスジャックの機嫌を取るように、言うことを聞いてはこの危機をどうしようかと慎重に考えていた。
他の乗客はバスジャックの持つ銃に怯え、その場に凍り付いて座ることしかできなかった。
バスジャックはバスの中を見渡し、警戒して隙がない。
運転手がフロントについているバスの中を見渡せる鏡を見て後ろを確認したとき、前の座席に座っていた一人の女性と目が合った。その女性はバスジャックを
怖がっている風ではな
く、毅然とした態度で
この状況を落ち着いて見ていた。
そしてバスドライバーと目でコンタクトを取り、自分がなんとかしようとしている意思を伝えた。
バスドライバーは首を横に振る。危険なことをするなと忠告していた。
バスジャックの隙をつき、彼女は見つからないように懐からバッジを取り出しバスドライバーに見せた。刑事だった。
バスドライバーははっとした表情をして、緊張感が走った。
女性はとにかく安全に運転して欲しいと、バスドライバーに目を凝らして合図を送る。
バスドライバーが信号にひっかかりバスを停めようと速度を落とすと、バスジャックは怒鳴った。
「(そのまま突っ走れ。信号は全て無視するんだ)」
バスドライバーはアクセルを踏み込み、言われた通りに突っ走った。
突然のバスの暴走にそれを回避しようと試みた何台の車が無残にも周りで衝突をしてしまう。
その光景も面白いと、バスジャックは窓の外を見て笑みを浮かべていた。
そのときの反動で、なゆみはガクッと前に倒れ、やっと目が覚めた。そして窓の景色を見て驚いた。全く見覚えがない場所に来ている。
自分が転寝をしてしまったことで乗り過ごしたと思い、慌てて、降りる知らせのベルを鳴らしてしまった。
「ピン!」という軽やかでいて大きな音が車内に響くと、乗客の緊張は一層高まり、バスジャックは苛立って怒鳴る。
「(今鳴らしたのは誰だ)」
なゆみはこの状況を全く飲み込んでいないこともあったが、怒鳴った声が聞こえて更に訳が分からず、何かの確認かと思い馬鹿正直に立ち上がって
しまった。
「(私です。乗り過ごしたんです。次降ります)」
頭に血が上ったバスジャックはなゆみに気を取られてツカツカと歩き出す。そのとき女性が鏡に映るバスドライバーに声を出さずに「ストップ」と口パクで指
示を仰い
だ。
バスは急停車して、その拍子にバスジャックはよろめいた。
女性はそのときを見逃さなかった。座席から立ち上がると、訓練した機敏な動きでバスジャックの銃を持っていた腕を後ろから掴み、骨を折るような勢いで捻
じ曲げる。
なゆみも立っていたのでよろめいて通路側に倒れそうになっていた。
そのとき、バスジャックの持っていた銃が手から零れ落ち、女性刑事はそれを蹴ると、銃はすーっとなゆみの方まですべってきた。
まだ状況を把握してないなゆみは落し物だと思って、それを拾った。
「(落ちまし……) ん? 何これ。ゲー、これアレじゃないの。えっ? 本物? 嘘…… 一体何が起こってるの?」
なゆみが銃を持ったまま呆然としていると、その間に女性はバスジャックに手錠を掛けていた。
バスドライバーはすぐさま車内にあった電話で連絡してこの状況を伝え、そして自らも女性刑事に加担して大きな体でうつぶせになったバスジャックに飛び
乗って押さえ
込んだ。
バスジャックは太ったバスドライバーの重みに耐えられず、ゴホゴホと息苦しそうに咳き込んでいた。
バスに乗っていた乗客はその様子を見て一斉に拍手喝采を挙げた。
なゆみは魂が抜けたように、まだ銃を持ったまま間抜けに立っていた。
そこに女性刑事が近寄って手を出したので、なゆみは慌ててそれを女性に渡す。
「(ありがとうね。あなたの機転で犯人を捕まえられたわ)」
「ノー、ノー、アイ ドント ノー」
なゆみは目が回るほど首を左右に振っていた。
その後、警察の車、救急車がバスの周りを取り囲み辺りは騒然として、すぐに数台の報道の車やヘリコプターまでも現れ、カメラを持ってス
クープの撮り合いをして
いた。そして犯人は連れて行かれた。
その頃、氷室はテレビをつけて、オスカーの相手をしていた。
オスカーは大人しくテレビを見ているので、その間にシャワーを浴びようとバスルームに向かう。
子供番組を見せていたが、急に速報で報道番組に変わりバスジャックのニュースが流れる。生中継を表す、LIVEという文字も出ていた。
バスから、乗客が降りてきて、怪我はないか、一人一人確認されている場面が映し出されていた。
オスカーはそれを観ていて「ナユミ、ナユミ」と叫びだした。
「(もうすぐなゆみのところへいくから、もうちょっと待ってね)」
氷室はテレビになゆみが映ってることも知らずに、バスルームから顔を出し、暢気に髭剃りをしながら、オスカーをなだめていた。
なゆみは、こんなところを氷室に観られたら困るとばかりに、カメラを向けられると、大きなリュックで顔を隠した。
インタビューもしたいとマイクを向けられ「ノーノー」とひたすら逃げたが、他の人が違うところでマイクを向けられて、なゆみが活躍した話をしていた。
「(アジア人の女の子が、ベルを鳴らして、勇気出して立ち上がって犯人の気を逸らしてくれたお陰で、隙をついて捕まえることができました。あの子です)」
指まで指されてしまっていた。
そんな風に紹介されてるとは知らず、ちょうど油断していた時になゆみの姿はしっかりと本人の知らないところでテレビカメラに映っていた。
その後完全に解放されるまで時間を要し、一時間目遅刻どころか、二時間目も三時間目もいけそうもなくなった。
しかし、氷室が学校に迎えに来る。それまでにはな
んとか学校
に辿りつかなければならないと、そればかり気になり、自分がハイジャックにあって危険だったことなど考えてる暇すらなかった。
警察官がうじゃうじゃいたので、その一人を捕まえて、学校に戻るにはどう帰ればいいのか道を訊いていた。